以前に、「ふれっしゅはち」の話を書きました。
娘の小学校では、学校に持ってくる物を「ふれっしゅはち」という言葉に託しているのです。
その中の「ゅ」は、「ゆるす心」のこと。
ジェラルド・G・ジャンポルスキーという人が「ゆるすということ」という本の中に、「ゆるしの原則」を並べています。転記します。
・心を開き、「ゆるしについて、もっと違う見方ができるかもしれない」と考える。
・「人間は単なる肉体ではなくスピリチュアルな存在で、肉体は仮の宿だ」と考える。
・「生命と愛は同じもので、永遠かもしれない」と思いを巡らす。
・「自分を哀れんでも無意味だ」と知る。
・「あら探しは無意味だ」と知る。
・「正しさ」より「幸せ」を選ぶ。
・被害者としてふるまうのをやめる。
・心の安らぎだけを、目標にする。
・出会う人みんなを、ゆるしを教えてくれる教師と見なす。
・「恨みつづけたり、絶対にゆるさないと決めつけると自分が苦しいだけだ」と考える。
・いま、この瞬間の心の苦しみは、自分自身の思いが生みだしていると認める。
・「心に浮かべる思いは、自分で選べる」と信じる。
・「怒りにしがみついていると、本当の望みはかなわない」と信じる。
・何かを決めるときは、怖れでなく愛に基づいて決める。何よりも自分自身のために。
・「自分を罰するなんて無意味だ」と考える。
・「私は幸せになる権利がある」と信じる。
・相手は私を攻撃したのではなく、恐怖におびえて愛を求めているのだと考える。
・出会う人みんなのなかに、無邪気な子どもの光を見いだす。見かけがどうであろうと、どんなひどいことをした人であろうと。
・自分のなかに無邪気な子どもの光を見いだす。
・過去の傷ではなく、恵みを数える。
・裁きの思いを手放すとどんなすばらしいことがあるか、探す。
・「愛はこの世で最もすばらしい特効薬だ」と信じる。
・出会う人すべてを、忍耐を教えてくれる教師と見なす。
・「ゆるしが幸せの鍵だ」と信じる。
・「記憶を消す霊薬」で、愛された記憶以外を消し去れると信じる。
・すべての出会いが神聖だと理解する。目の前にいる人を、イエス、仏陀、モハメド、マザー・テレサなど、賢明でスピリチュアルな教師とみなす。表面的にはどうであれ、すべての出会いを神聖なものと見なし、何かを学ぶ機会としてふるまう。
・「他人や自分を傷つけたり罰したりするのは無意味だ」と考える。
ゆるしの目的は他人を変えることではなく、心のなかでせめぎ合う否定的な思いを変えることだと思い出す。
あなたは、人をゆるすことができますか。
人をゆるすことで、あなたが手に入れられることは何があるでしょう。
「ゆるすということ」 ジェラルド・G・ジャンポルスキー著 サンマーク出版
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