2015年9月24日木曜日

今の私(2015年版)

2011年の「今の私」を掲載したので、
2015年版も書いてみました。
基本的なことは変わってはいないのですが、
ちょっと新しいところもあります。


毎年書いてみるのもいいなと思いました。


「今の私2015年版」20行です。


正しいことが好き。楽しいことが好き。
体重が減った。酒量もやや減った。
竹鶴の17年を気に入っている。
若い人が「成長する」「変わっていく」のを見たい。
料理が好き。事務所でもランチを作っている。
59歳で賃貸オフィス。けっこう快適。
事務所が好き。毎日通っている。
本を出したい。準備はできている。勇気がない。
離婚歴あり。求めすぎて失敗し、求めなくなった。
尿酸値は落ち着いた。薬も服用していない。
おもてなしが好き。事務所の客が多い。
夜更かしが得意。早く寝ると夜中に起きる。
物書きの端くれ。毎日少し書いている。
恥ずかしがらないことがクリエーティブ。
オプティミスト。最上最良最高主義。
泣き虫。カタルシスに浸るのが好き。なの?
吝嗇。使う時には使う。
ひとりがいい。人に囲まれるのもいい。
笑顔から何か生まれる。
人を愛することが好き。


いつだって自分は自分。
自分に恥じない生き方を。


あなたは、今の自分が好きですか。
何があれば、
もっと自分が好きになると思いますか。

2015年9月19日土曜日

今の私(2011年版)

2011年に書いたもの。
産業カウンセラー養成講座が始まって、二個目の宿題。
ちょっと懐かしさもあるけれど、私の原点でもあるかなと思ったので載せてみました。

------

良いところも自分、悪いところも自分。
自分は自分以外のなにものでもない。
自分が嫌いな自分を、誰が好きになってくれるだろう。
と思っている。信じている。

「今の私」を20行にしてみた。
①正しいことが好き。正しくないことも好き。
②がらくたも本も思い出も、捨てられない。
③若い人が成長するのを見るのが楽しい。
④子煩悩で親ばか。子どもを愛しているから。
⑤料理が得意。娘は外食が嫌いになった。
⑥離婚1回。求めすぎた自分がいた。
⑦人に求めない。求めて失敗したから。
⑧尿酸値が高い。29歳の時からのお付き合い。
⑨夜更かしが得意。じじいだというのに。
⑩物書きの端くれ。自慢しちゃいけない。
⑪恥ずかしがらないことがクリエーティブ。
⑫リーダーより参謀。人はそう言わないけど。
⑬自分より人を優先。人もそう言う。
⑭泣き虫。妻と娘で私の涙に笑いこけている。
⑮吝嗇。ワイフには負ける。
⑯65歳まで住宅ローン。もう働きたくはない。
⑰笑顔から何か生まれる。悲しさからは何も。
⑱ひとりがいい。人に囲まれるのもいい。
⑲人見知り、気を許さない、でも人が好き。
⑳両親、姉・妹、妻、娘。愛している。

裏と表が一緒にあるように、人にはいろいろあっていい。
そこに一致はないけれど、だから人は面白い。

-----

2105年の現在と違うのは、⑯。

住宅ローンは、前倒しして払い終わった。
「もう働きたくない」けれど、働いている。


あなたは、今のあなたが好きですか。
あまり好きではなかったら、何があれば好きになれると思いますか。

2015年9月15日火曜日

旧「コミュニケーション実験室」でやってきたこと その5

現在「コミュニケーション実験室」として活動している小篠は広告会社出身。
担当は人事だったのですが、人事の勉強会に「コミュニケーション実験室」という名をつけており、その名前を頂戴して現在のサイトを運営しております。
ここでは「現在」と区別するために「旧コミュニケーション実験室」とタイトルをつけました。
ブログに書いたのはすでに3年ほど前のことです。

-------

「聞く」ことの大切さについて語っている本は五万とある。
私の本棚にも、「聞く」や「聴く」を解説した本が何冊かある。
しかしながら、どうもしっくりこない。
あれもこれもとたくさんの要素が盛り込まれているからだ。
マネジメント対象の研修や子育てあるいはコーチング研修で話をする時、私は聞くことについて、3つだけ話している。
たくさん言いたいことはあるけど、まずはこの3つを身につけてほしいと言っている。


①全身で聴く

からだのあらゆる部分が「聞いています」ということを示していることが第一。
相手のほうにからだが向いているか。
視線は相手をとらえているか。
上半身はやや前傾になっているか。
腕を組んでいないか。
笑顔か。
私は「あなたの声と気持ちと感情のすべてを受け入れる態勢でいます」と
からだが示しているかどうか、が基本なのです。


②最後まで聴く

人はおしゃべりが大好き。相手の話を遮ってでも話をしたがるのが人間です。
話したい気持ちをグッとこらえられるかどうかで、聞き手の能力がわかります。
もちろん、慣れてしまえばなんということはないのですが、最初はちょっと難しいかも。
「話すタイミングを失っちゃう」から話すんだ、という人がいます。
「忘れてしまいそうだから、思いついた時に話す」という人もいますね。
忘れてしまうくらいの話なんて、相手もきっとすぐに忘れてしまいます。
話す必要なんてないのかもしれません。
自分の話は、相手が話し終えてからで十分なのです。


③相手が話したことがこちらに「伝わった」ことを相手に伝える

いちばん単純な方法が、頷くことです。
頷いているだけで、話し手は気分が良くなってしまいます。
相手を気持ちよくさせたかったら、たくさん頷いてください。
合いの手を入れたり、相手の言葉を繰り返したり、要約して返したり。
話し手はもっともっと話したくなるはず。


今日から、あなたも聞き上手を始めてみませんか。


話を聞けるようになると、あなたの何が変わるでしょう。

旧「コミュニケーション実験室」でやってきたこと その4

現在「コミュニケーション実験室」として活動している小篠は広告会社出身。
担当は人事だったのですが、人事の勉強会に「コミュニケーション実験室」という名をつけており、その名前を頂戴して現在のサイトを運営しております。
ここでは「現在」と区別するために「旧コミュニケーション実験室」とタイトルをつけました。
ブログに書いたのはすでに3年ほど前のことです。

------   

コミュニケーション実験室ではスキルの解説も行っています。
たとえば、「聞く」の章では5つのテーマがあります。

・聞くことの重要性
・聞く態度の基本
・コミュニケーションの主体は聞き手
・メラビアンの法則
・聞く能力と話す能力

最初の「聞くことの重要性」では、大きくふたつの話をしました。


ひとつめは、私の体験談。

私のクライアントであるプロのコーチは 「話すコミュニケーション」から「聞くコミュニケーション」に変えたことで次々に顧客を獲得していったという話。

私のクライアントが、その話を知り合いに話したところ、知り合いの方も実践しお仕事をいただいた、という話。

一連の話を聞いた私の友人のコンサルタントが自分が講師を務める研修の担当者にこの話をしたところ「明日の研修はその話をやってくれませんか」と言われたという話。

この、事実を並べただけの話から学べることは、
「人は、自分の話を聞いてくれる人の話は聞くことができる」
     ↓
「人は、話を聞かない人の話は聞きたくないし、その人に命令されても行動を起こしたくない」ということ。


ふたつめは、カウンセラー養成講座でまず学ぶことで「傾聴の基本態度 3つ」です。

①自己一致 経験と自己概念の一致

②無条件の肯定的配慮=受容
肯定的なことであれ、否定的なことであれ、すべてありのままに受け入れる
クライアントを一個人として大切にし尊重していることの表れ

③共感的な理解=共感
相手の立場になって感じる 考える ただし客観的に

人は聞かれることによって、「受け入れられている」「尊重されている」「同じ立場になってくれている」と感じる。そこに、安心感が生まれ、信頼感が芽生える。

私個人の考え方を押し付けるような講義はしません。
・事実をたんたんと話すこと
・書籍に書かれていること、コーチングトレーニングやカウンセラー養成講座で学んだことを紹介すること
に徹しています。

場に出された課題をディスカッションするだけで、参加者はそれぞれに学んでいるようです。そろそろ3か月なので、「このまま進んでいいですか」と問うてみる必要がありますが。


教えることと学ぶことの違いって、何だと思いますか。

旧「コミュニケーション実験室」でやってきたこと その3

現在「コミュニケーション実験室」として活動している小篠は広告会社出身。
担当は人事だったのですが、人事の勉強会に「コミュニケーション実験室」という名をつけており、その名前を頂戴して現在のサイトを運営しております。
ここでは「現在」と区別するために「旧コミュニケーション実験室」とタイトルをつけました。
ブログに書いたのはすでに3年ほど前のことです。

--------     

実験室でやっていることのひとつがファシリテーションの実践です。
参加者は6人。司会と書記は持ち回りにしています。今回はAさんが司会、Bさんが書記。次回はBさんが司会でCさんが書記。次はCさん司会でDさん書記。司会は1時間のミーティングの準備から仕事が始まります。

①講義のテーマを選ぶ
毎回、15分ほど私が講義をしています。テキストが用意してあり、26のスキルを記載済み。この中から、自分が話題にしたいテーマを選びます。
司会が今抱えている課題がスキルリストになければ、講師である私と協議して決めています。
私の講義と言っても、私独自の理論を披露するものではありません。コーチングで言われていること、カウンセリングの世界での常識、本からの引用。なるべく客観的なデータをもとに、一般論を紹介し、議論をしています。


②あなたならどうする?のネタを決める
コミュニケーションのケーススタディもたくさん用意しています。
こんなときに、あなたならどんなコミュニケーションをしますか?といった具合に。

たとえば、
夜7時。あなたは帰宅の電車の中。コーテシーシートの前に立っています。
3人掛けのコーテシーシートには、左から順に、
・イヤホンをつけてコックリしている男子学生
・読書中の中堅サラリーマン
・携帯に夢中の若い勤労女性
が座っています。

そこに、マタニティマークをつけた妊娠7カ月の女性(30歳)が乗ってきて、あなたの隣に立ちました。

さあ、あなたは何か行動しますか。
各自がどんな行動するのかを発表し合って、ディスカッションしています。


これまでの実験室では、このふたつでほぼ55分ほど使っています。
オープニングのアイスブレイクやクロージングで合計60分はあっという間。
司会の準備がきちんとできていれば、60分できれいに終了できるはずです。

ファシリテーションは、コミュニケーションスキルの中でも大切なスキルのひとつ。
頭で、知識として知るだけではなく、体で実践することも実験室の大きなテーマのひとつ。
みんなが少しずつできるようになればと思っています。


頭で考えたことを実際に行動できるようになるには、何が必要だと思いますか。

旧「コミュニケーション実験室」でやってきたこと その2

現在「コミュニケーション実験室」として活動している小篠は広告会社出身。
担当は人事だったのですが、人事の勉強会に「コミュニケーション実験室」という名をつけており、その名前を頂戴して現在のサイトを運営しております。
ここでは「現在」と区別するために「旧コミュニケーション実験室」とタイトルをつけました。
ブログに書いたのはすでに3年ほど前のことです。

---------

実験室に参加しているのは、6人。8~10人くらいまでは増えてもいいと考えている。
参加者に世話役の私からプレゼントをした。私が「人に薦めたい本は?」と聞かれたら、3本指には入る本。
「人を動かす」 デール・カーネギー著 山口博訳 創元社

目次だけを書いてみる。

 PART1 人を動かす三原則
  1 盗人にも五分の理を認める
  2 重要感を持たせる
  3 人の立場に身を置く
 PART2 人に好かれる六原則
  1 誠実な関心を寄せる
  2 笑顔を忘れない
  3 名前を覚える
  4 聞き手にまわる
  5 関心のありかを見ぬく
  6 心からほめる
 PART3 人を説得する十二原則
  1 議論をさける
  2 誤りを指摘しない
  3 誤りを認める
  4 おだやかに話す
  5 “イエス”と答えられる問題を選ぶ
  6 しゃべらせる
  7 思いつかせる
  8 人の身になる
  9 同情を持つ
  10 美しい心情に呼びかける
  11 演出を考える
  12 対抗意識を刺激する
 PART4 人を変える九原則
  1 まずほめる
  2 遠まわしに注意を与える
  3 自分のあやまちを話す
  4 命令をしない
  5 顔をつぶさない
  6 わずかなことでもほめる
  7 期待をかける
  8 激励する
  9 喜んで協力させる
 付録 幸福な家庭をつくる七原則
  1 口やかましくいわない
  2 長所を認める
  3 あら探しをしない
  4 ほめる
  5 ささやかな心づくしを怠らない
  6 礼儀を守る
  7 正しい性の知識をもつ

毎回、メンバーが本の中で気になった箇所についてコメントし、他のメンバーが意見を言う。
スキルがちりばめられた秀逸の一冊ではあるが、問題は実践するかどうか。
行動したものだけに果実は手に入ることを実感できる本である。


人を動かすために大切なことを3つ挙げるとしたら、あなたは何を挙げますか。

旧「コミュニケーション実験室」でやってきたこと その1

現在「コミュニケーション実験室」として活動している小篠は広告会社出身。
担当は人事だったのですが、人事の勉強会に「コミュニケーション実験室」という名をつけており、その名前を頂戴して現在のサイトを運営しております。
ここでは「現在」と区別するために「旧コミュニケーション実験室」とタイトルをつけました。
ブログに書いたのはすでに3年ほど前のことです。

------

私は、広告会社に勤務しているサラリーマンです。同じ会社にもう30年以上も勤務しています。
とはいえ、職種はいろいろ変わりました。
スタートはコピーライター。広告制作に17年間たずさわってきました。
その後海外勤務。タイと中国でクリエーティブと営業を3年間やりました。
2000年に手を挙げて人事へ。もう12年になります。

人事に来てからコーチングを学び、カウンセリングを学び、子育てを学びました。
昨年から今年にかけて私の周りにはこんな声が聞こえてきました。
「コーチングを学びたい」
「コミュニケーションをよくしたい」
「社の活性化のためにコミュニケーションスキルが使えないか」
私に相談に来られた方にお声がけすると、皆さんウズウズした気持ちを抱えていらっしゃる。
だったら、勉強会から始めませんか、ということで、4月から学びの場が始まりました。
活動の名称は、「コミュニケーション実験室」。
いろんなコミュニケーションを知る。自分でも使ってみる。効果を確認する。
会社のコミュニケーションも良くなってほしいし、自分のスキルも磨いてほしい。
講義で知識を身につけるのではなく、実際に行動してもらう、まさに実験室。

この場で少しずつ紹介していきます。


学ぶとはあなた自身が何をすることだと思いますか。

2015年9月14日月曜日

ゆるすということ その2

ジェラルド・ジャンポルスキーは、同時に「ゆるしの実践」というものをまとめています。
ゆるすために、何をなすかについて書いています。

・「ゆるしたくない」という思いはブーメランのように自分に返ってくる。そんな苦しみとはさよならすると決意する。

・ゆるしたい人に手紙を書く。心のうちをありのままに書き、投函せずに破り捨てる。

・詩を書くのも、ゆるしに役立つかもしれない。思っていること、感じていることを、飾らずぞんぶんに表現する。

・ゆるしとはただ心の安らぎだけが目標であり、他人を変えたり罰することではないと、理解する。

・自分を傷つけた人を、ゆるしとは何かを教えてくれる最良の教師と見なす。

・他人をゆるすとき、実は自分がゆるされているのだという真実を思い出す。

・自分のためだけでなく他人のためにも祝福し、祈り、そのことを大切に考える。

・ゆるすことは、その人の行動に同意するのでも、人を傷つける行動を肯定するのでもないということを、思い出す。

・ゆるしがもたらす喜びと心の安らぎを楽しむ。

「ゆるしの原則」「ゆるしの実践」をみると、ジャンポルスキーが言おうとしていることが見えてきますか。

彼は、こう、つづっています。
「ゆるすということは、否定的な思いへのこだわりを手放すプロセス」と。

ゆるすことは、とっても難しいこと。それは相手のためではなく、自分のためにすることなのですね。相手が謝らないのに、ゆるすことなんてできない。と家族は言います。「謝る」「謝られる」にこだわることなく、ゆるすことができれば、心は平穏で居られるようです。

あなたにはゆるせない人がいますか。
あなたが彼/彼女をゆるすことで、あなたはどんな風に変われますか。
あなたが彼/彼女をゆるすことで、彼/彼女は、どんな気持ちになれるでしょうか。

「ゆるすということ」 ジェラルド・G・ジャンポルスキー著 サンマーク出版

ゆるすということ その1

以前に、「ふれっしゅはち」の話を書きました。
娘の小学校では、学校に持ってくる物を「ふれっしゅはち」という言葉に託しているのです。
その中の「ゅ」は、「ゆるす心」のこと。
ジェラルド・G・ジャンポルスキーという人が「ゆるすということ」という本の中に、「ゆるしの原則」を並べています。転記します。


・心を開き、「ゆるしについて、もっと違う見方ができるかもしれない」と考える。

・「人間は単なる肉体ではなくスピリチュアルな存在で、肉体は仮の宿だ」と考える。

・「生命と愛は同じもので、永遠かもしれない」と思いを巡らす。

・「自分を哀れんでも無意味だ」と知る。

・「あら探しは無意味だ」と知る。

・「正しさ」より「幸せ」を選ぶ。

・被害者としてふるまうのをやめる。

・心の安らぎだけを、目標にする。

・出会う人みんなを、ゆるしを教えてくれる教師と見なす。

・「恨みつづけたり、絶対にゆるさないと決めつけると自分が苦しいだけだ」と考える。

・いま、この瞬間の心の苦しみは、自分自身の思いが生みだしていると認める。

・「心に浮かべる思いは、自分で選べる」と信じる。

・「怒りにしがみついていると、本当の望みはかなわない」と信じる。

・何かを決めるときは、怖れでなく愛に基づいて決める。何よりも自分自身のために。

・「自分を罰するなんて無意味だ」と考える。

・「私は幸せになる権利がある」と信じる。

・相手は私を攻撃したのではなく、恐怖におびえて愛を求めているのだと考える。

・出会う人みんなのなかに、無邪気な子どもの光を見いだす。見かけがどうであろうと、どんなひどいことをした人であろうと。

・自分のなかに無邪気な子どもの光を見いだす。

・過去の傷ではなく、恵みを数える。

・裁きの思いを手放すとどんなすばらしいことがあるか、探す。

・「愛はこの世で最もすばらしい特効薬だ」と信じる。

・出会う人すべてを、忍耐を教えてくれる教師と見なす。

・「ゆるしが幸せの鍵だ」と信じる。

・「記憶を消す霊薬」で、愛された記憶以外を消し去れると信じる。

・すべての出会いが神聖だと理解する。目の前にいる人を、イエス、仏陀、モハメド、マザー・テレサなど、賢明でスピリチュアルな教師とみなす。表面的にはどうであれ、すべての出会いを神聖なものと見なし、何かを学ぶ機会としてふるまう。

・「他人や自分を傷つけたり罰したりするのは無意味だ」と考える。

ゆるしの目的は他人を変えることではなく、心のなかでせめぎ合う否定的な思いを変えることだと思い出す。


あなたは、人をゆるすことができますか。
人をゆるすことで、あなたが手に入れられることは何があるでしょう。

「ゆるすということ」 ジェラルド・G・ジャンポルスキー著 サンマーク出版

ほめることの功罪

「ほめられると育つタイプです」と自己紹介する若い人がいました。
たしかに、ほめられると人はいい気持ちになります。
ところが、「ほめられるのは好きじゃない。何か、魂胆があるような気がして。」という人もいます。ほめることには、いい面もあれば、悪い面もあるのでしょう。

ハイム・ギノットというイスラエル出身の臨床心理学者で児童教育の専門家が、その著書、「子どもの話にどんな返事をしていますか?」(草思社刊)で、子育てについて語っています。
その中のひとつに、「子どもは、ほめて育ててはいけない」という一節があります。ギノットは、1967年にすでに、書いているのです。

 利口だとほめられた子が、自分の高い評判を落としたくないばかりに、むずかしい課題に
 挑戦しなくなる、ということはめずらしくない。反対に自分の努力をほめられた子は困難な
 課題にもっと取り組むようになる。

ほめ続けていると、ほめられるために行動するようになる。ほめられないとやらなくなる。ほめることは評価すること。人は評価されたくないから、ほめることは成長につながらない。ほめるのであれば、愛情が先行したり人格を丸ごと賞賛するのではなく、やったこと、できたこと、行動や成果を具体的にほめてあげること。何ができたのか、認めてあげなさい。というのです。
「すごい」とか「いい子ねえ」とか「よくできた子ねえ」ではなく、「あなたは、○○することができたね。」という言い方をしなさい。というのです。

「ほめることの功罪」を研究している人がいまして。2008年にニューヨークジャーナルという雑誌にコロンビア大学のキャロル・ドウェックという学者の調査が報告されています。

・10歳のこども数十人に簡単なIQテストを実施。ノンバーバルのパズル。
・問題を終えて、半分の子どもには「才能をほめる」。「頭いいね」「偉いねえ」「すごいねえ」とかですね。半分の子どもには、「プロセスや成果をほめる」。「パズルが解けたね」「できたね」「頑張ったね」みたいなことですね。
・次は、難しいパズルと易しいパズルを用意して問題を子どもに選ばせる。
・才能をほめられた子どもは、易しい問題を選び、成果を認められた子どもは難しい問題を選ぶ傾向にある、という。
・これを何回か繰り返すと、易しい問題であっても、才能をほめられた子どもはだんだんできなくなり、成果やプロセスを認められた子どもはできるようになっている。という研究。
詳細はこちら。
“How Not to Talk to Your Kids -The inverse power of praise.” Po Bronson
http://nymag.com/news/features/27840/

コーチングでは、スキルの項目として「ほめる」というものがありません。あるのは、「承認」。個人の尺度で評価するのではなく、プロセスや成果を事実として承認してあげることです。事実を伝えることは、フィードバックにも共通します。今までできなかったことができるようになったときに、「偉い」「すごい」ではなく、「できたね」「新記録だ」というだけで、人はモチベーションを上げるものなのです。

「子育ての経済学」(ジョシュア・ガンズ著 日経BP社刊)という本にもキャロル・ドウェックの研究が紹介されています。

 現在の行動と将来的な報酬や罰の結びつきを理解すれば、それだけでインセンティブになるわけではない。コンテクストもまた重要だ。経済学理論だけがインセンティブではないからだ。報酬は目に見えるものばかりとはかぎらない。称賛もまた報酬となる。だからいつもいつも子供をほめてばかりだと、その報酬効果はなくなってしまう。
 称賛にはもうひとつ、難しい問題がある。心理学者キャロル・ドウェックは次のような実験を実施した。学童に簡単な非言語的IQテストを受けさせた後、無作為に選んだ一部の子に対してはその知能を称賛し、それ以外の子供たちは努力を称賛した。そして次のテストでは、簡単なものと難解なものを選択する権利を子供たちに与えた。すると、先のテストでのほめ方の違いがこの選択に影響を及ぼしたのである。努力をほめられた方の90パーセントは難解な道を選んだが、知能をほめられた方の大部分は容易な方を選んだのだ。
 次の段階では児童に選択権は与えられず、全員が極めて難解なテストを受けた。興味深いことに、努力をほめられた子供たちはさらに努力し、あらゆる道を検討した。だが「知的」な方の子供たちは早々に諦めてしまった。最後に、一番最初と同様の簡単なパズルが与えられた。すると、「努力派」児童の成績は30パーセントも上がったが、「知能派」の方は20パーセントも落ちたのである。
 ドウェックは元々、称賛が逆効果になる場合もあると予想していたが、これほど顕著な効果が出ることは予想外であった。「努力の強調は、子供に自らコントロール可能な変数を与える」と彼女は言う。「子供は自らを、成功をコントロールしうる存在とみなすようになる。一方、生来の知能を強調すると、それは子供のコントロール外のものとなり、失敗に対する有効な処方箋とはならない」。
 何も考えずにほめるのはたやすい。僕なんていつもやっている。だけどこの研究によれば、よくよく考えてほめないと、効果がないどころか却って有害なこともあるという。インセンティブが働くのは、子供たち(にかぎらないが)が自分の行動を制御できる時に限られる。誰かの生得的な才能をほめても、当人はそれを制御できないのである。一方、当人に制御可能なものをほめるなら、称賛という報酬は効果を発揮するのだ。

時間が前後するが、「子どもをほめてはいけない」と言い始めたのは、アルフレッド・アドラーかもしれない。
アドラーは罰することもいけないし、褒めることもいけないと言っている。
罰することは一時的には効果があるが、自尊心や勇気をくじく。
ほめることは、有能な(自分が有能だと思っている)人が、能力が低い人に「あなたは私より能力が低い」と言っているのと同じで、言われたほうはいい気持ちにはならない。「評価する側」「評価される側」という関係をつくってしまう、というのです。
そしてアドラーは、「行動そのもの」を見てあげなさい。というのです。

キャロル・ドウェックの実験がそれを裏付けています。
ほめることは決して悪いことではないのかもしれません。
ほめ方に注意さえすれば。

決して、「すごい」「偉い」とか「やればできるじゃないか」とかではなく。
「15回できたね」とか「3分でできたね」という事実だけを伝える。
それだけで十分なのです。


あなたは今日から、お子様や部下をどんなふうに叱り、どんな風にほめますか。

ふれっしゅはち

5年前に娘が小学校に入学した時のことを書いたものです。

----

娘は今年、学芸大学附属世田谷小学校に入学しました。
家からあるいて20分弱のところにあり、のんびりした学校と聞いていたし、娘も雰囲気を気に入っていたものですから。
入学すると「毎日学校に持ってくる物」を忘れないようにとフレーズにして覚えさせるのです。
フレーズで謳ったものに加えて、必要なものをそろえてランドセルに入れています。
毎日必ず持ってくるものが「ふれっしゅ はち」です。

 ふ:ふでばこ (筆箱)
 れ:れんらくちょう (連絡帳)
 っ:つよいこころ (強い心)
 し:したじき(下敷き)
 ゅ:ゆるすこころ(赦す心)
 は:はんかち(ハンカチ)
 ち:ちりがみ(ちり紙)

だというのです。
大文字のひらがなはすべて「モノ」なんですが、拗促音の「っ」と「ゅ」は「心」や「気持ち」のことなんです。
私は児童教育の専門家ではありませんが、コーチや子育てアドバイザーの資格を取り、人を育成することを生業としている身として、「赦す」ということの大事さを痛感してきました。
娘にも、事あるごとに「赦すって難しいんだけど、大事なことなんだよ」と言い聞かせてきました。
それを学校の持ち物リストに入れている学校があったなんて、ちょっと驚きでした。

昨日も母親が娘の実験道具を踏みつけて壊してしまったので、娘は大泣きしていました。
母親の謝り方が気に入らなかったらしく、泣き続けます。
「悲しいねえ。こわれちゃって残念だったねえ」と共感しつくしてから、私は彼女に言いました。
「ママは、謝っているよ。ママを赦してあげよう。辛いけど、赦してあげよう」と言い聞かせました。
鼻水でべとべとになった顔を私のTシャツでぬぐうと、笑顔をとりもどして、夕食になりました。

ジェラルド・G・ジャンポルスキーという人が「ゆるすということ」という本を書いています。
彼は「赦す」ということを「否定的な思いへのこだわりを手放すプロセス」と定義しています。
赦せないことで心に何か引っかかってしまうと、前進するドライブがかからなくなってしまうというのです。


あなたには「赦せないこと」「赦せない人」がありますか。
「赦さない」ことでこだわっているのは何ですか。
赦したら、何が変わると思いますか。

「ゆるすということ」ジェラルド・G・ジャンポルスキー著 サンマーク出版

ビジョナリーカンパニー3部作

「ビジョナリーカンパニー(原題 BUILT TO LAST)」1995
「ビジョナリーカンパニー②(原題 GOOD TO GREAT)」2001
「ビジョナリーカンパニー③(原題 HOW THE MIGHTY FALL)」2010
ともに日経BP社刊(発行年は日本初版)

スタンフォード大学の教授だった、ジム・コリンズが中心になってデータを収集。
膨大な資料分析のもとに「存続している企業」「偉大になった企業」「没落した企業」の実態を
冷静に紹介している。英語の題のほうが、内容をはるかに正しくあらわしている。

・第5水準のリーダーシップを持っている人が飛躍を指導している
 派手で個性的なリーダーではなく、控え目で物静かで内気で恥ずかしがり屋である
・最初に人を選び、そのあとに目標を選ぶ
 適切な人をバスに乗せ、不適切な人をバスから降ろし、それから目的地を決める
・成長しても厳格さをもとめ、傲慢にならない
 大きくなることがいいことではない。人材が供給できないほどの早さで拡大すると失敗する
・衰退がはじまると一発逆転を狙って多くの場合に失敗する
 企業文化をまもり、強みを伸ばすことで成長は維持できる

②でグレイトな企業として挙げられていた企業が③では没落している。
没落した原因、回復した原因を列挙しているが、それは結果論になっていて、
何が学べるかというと、疑問が残った。
おそらく、没落した会社のようなことをやってはいけないということなのだが、
「最初に人を選び、あとで目的を選ぶ」ことが最重要なのだとしたら、いつの時代も、誰がやるかがもっとも大きな課題なのだろう。
本書でも言っている。「人材が最重要な資産ではない。適切な人材が最重要な資産なのだ」と。

あなたの会社は、その人で大丈夫ですか。
あなたが、あなたの会社のリーダーであったら、今、何をしますか。



2015年9月12日土曜日

もしドラ

2010年、「もしドラ」が流行った時に書いたもの。


----

ドラッカーがまたブームになっているという。

「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」という本がベストセラーになっている。
著者は岩崎夏海さん。ダイヤモンド社刊。昨年12月初版。今回、訳あって読んでみた。3時間で読んでしまった。
こんなんで甲子園に行けるんだったらみんなドラッカーを読むよな、とは思ったものの、
企画や視点はとても面白いと改めて思いました。

マネジメント職というものになってから12年ほどになる。

海外赴任していた時に昇格したのだが、「マネジメント職研修」も海外赴任者までは手が回らず、ドラッカーを何冊も読むことでマネジメントの自習を続けていた。
ドラッカーの「マネジメント」は1973年の刊。今から37年前の本なのに、今の時代でも通用している。
時のマネジメントを分析したものではなく、マネジメントを発見した人と言われる所以である。
・われわれの使命(事業)とは何か
・われわれの顧客は誰か
・顧客にとっての価値とは何か
・われわれにとっての成果とは何か
・われわれの計画は何か
・われわれの組織はどうあるべきか

そんなことを教えてくれる。そして、彼は言う。

「マネジメントとは、成果に責任を持つことである」と。
部下が成果を出せないのは、上司の責任。能力を引き出すことも上司の能力なんだと説く。
命令一下、すべての部下が上司の思い通りに行動し想像に違わぬ成果を上げられた時代は終わっている。
新入社員から定年後の再雇用社員まで部下の年齢もいろいろ、派遣社員、出向受け入れ、業務委託等々、雇用形態も多様な社員たちを一束でマネジメントできる時代ではなくなっている。
10人の部下がいたら、10通りのマネジメント方法があると思ってくださいと、新任マネジメント研修では新人たちに講師として話をしている。
ミンツバーグが言うように、MBAはマネジメントの経験がある人が履修すべきだという意見に賛成する。
一方で、マネジメント職にない人がマネジメントを学ぶことにも大いに賛同する。
下ができた瞬間から、マネジメントは必要なのだから。

マネジメントは日々変わっていく。

成長期は親分肌のマネージャーが「行けぇ」と大声を出していればよかった。
しかし、今は違う。
あなたのマネジメントが問われる時代なのだ。


あなたはマネジメントスタイルに自信がありますか。

では、あなたは自分のマネジメントスタイルに何点をつけますか。

コーチングフィーの妥当性

会社員であったころは、社員のコーチは無料で引き受けていました。
社内でアルバイトはできませんからね。
社外のクライアントは有料。学生の場合は、
「払えるだけでいい」と言っていました。

コーチング専門会社では、エグゼクティブコーチングと称して
「30分で5万円」というところもたくさんあります。
法人であれば、「企業の人材を育てるためならそれくらい安いもんだ」
ということなのでしょうか。
一方で、某飲料メーカーのように、社内コーチを育てている会社もあります。
この場合、フィーは無料になります。

コーチングはブームが去っているとも言われます。
ビジネスとしては、成果のあいまいさがあるからかと。
かかった費用と、ゴール、あるいは結果のバランスに
納得性がないケースが多いのではないでしょうか。

コーチングのブームは終わっても、人を育てるとか、
人が成長するのをサポートすることにブームはありません。
「コーチング」という言葉は変わるかもしれませんが、
コーチングが持っている機能は生き続けると確信しています。

もちろん、「お金を払ってコーチをつけてよかった」と
言ってもらえるコーチでありたいと思っています。

あなたは、誰に育てられましたか。
自分の子どもや部下を、それと同じ方法で育てたいと思いますか。

2015年9月11日金曜日

就活コーチング_その1

「希望する会社に就職すること」をテーマに、学生をコーチしています。

Aさんは、とんとん拍子にすすみ、コーチングはわずか5回。大手通信会社に入りました。

Bさんは、苦戦を重ねたのですが、4ヵ月後に世界的にも有数の企業に入社。現在、単身赴任中。
Cさんは、将来の目標は医療コンサル。でもまずは、ビジネスを知ることと言って今はカリフォルニア。
Dさんは、情報産業の人事に配属されて5年。ベテランの人事の顔になってきた。
そして、Eさん。

大学の後輩で、就職課の先生に依頼されて話をしに行った時からコーチをすることになった。
7年前のこと。コーチをしたのは11回。私が勤務していた広告会社を受験するというので、コーチを終了。お会いしたのは、初回のただ1回だけだった。
そしてEさんから、今年の4月7日にメールを受け取ることになる。
「映画プロデューサーとして映画を製作したので、小篠にメールをした」と言う。
すぐに再開を果たす。2回目だというのに、7年ぶりだというのに、時間は飛んで行った。
Eさんは、就職活動が上手くいかず、大学を卒業すると同時に芸術大学の院に進み、映像を専攻。
院を卒業すると同時に大学に残り、映画作りを学び、プロデューサーとしてデビュー。
「一本になるまでは連絡したくなかった」とEさん。
コーチをしていた7年前のログを振り返ると、映画・映像の話ばかり。CFを作りたくて広告会社をめざしたが、うまくいかずに大学院に進んで、最後には自分のやりたいことをやっている。
コーチとしてこんなに嬉しいことはない。コーチ冥利に尽きるというものだ。

就社ではなく、就職を。と学生にはいつも言う。 

会社で選ぶのではなく、何をしたいのかで会社を選ぶ。
好きなことを仕事にすることを考えて、と言い続けてきた。

就活は、就職したい会社から内定をもらうことがゴールだが、私はそれだけをゴールにしたくない。

自分が自分の人生をどうやって生きていくのか。
今入社しようとしている会社で何を学ぶのか。
何を経験し、何を自分のものにし、将来の何に生かそうと思うのか。
そういうことを考えるもらうために、コーチをしている。そして、私のクライアントたちは、
それぞれに、自分の生き方を見つけていってくれている。
彼らの将来をしばらく見守っていきます。


あなたがその会社を選ぶ理由は何ですか。
あなたがその会社に選ばれる理由は何ですか。

コーチの依頼が来るとき その4

昨年まで3年半にわたりコーチングを続けてきた方が体調を崩されて一時中断していたのですが、再スタートしたいとお申し出があり、セッションを再開することにしました。
今週金曜日夜9時。セッションが再開します。

別に新規で「10月からコーチングを受けたい」とおっしゃる方がひとり。
私の元クライアントの友人で、会社を何とかしたいと熱意に燃える青年です。
来週の土曜日からセッションは始まります。

初めての方でも3年続けてきた方でも、始まりはやはり緊張感があります。
 どんなテーマを挙げるのだろう。
 ゴールは具体的なんだろうか。
 期間はどうだろう。
セッションで話をすると時間を取られてしまうので、あらかじめこちらからいくつかの質問をすることにしている。

①テーマについて
 ・何についてコーチングを受けたいと思うのか
 ・気になるテーマが複数あるとしたら、それぞれの重要度や優先度をどう考えているか
 ・そのテーマでコーチングをうけることで、あなたはどうなりたいのか

②ゴールについて
 ・ゴールは何か 何が達成されるとゴールと言えるのか
 ・ゴールを達成するために、課題になることや問題になることは何か
 ・(ゴールが明確でない場合)コーチングを受けることでどうなっていたいか

③クライアント自身について
 ・ゴールが達成されると、あなたにどんな変化があるだろうか(あるといいだろうか)
 ・それはあなたの人生にどんな影響を与えるだろうか
 ・5年後10年後の自分はどんな自分でありたいか

こんな内容だ。
セッションが始まる前にオリエンテーションを実施し、クライアントの様子はすでにある程度はつかめている状態なので、すべてのクライアントに同じ質問をするわけではない。
けれど、質問を投げかけた瞬間から、すでにコーチングは始まっている。
クライアントは、明らかに自分では考えたこともない質問に答えるという行動を始めているのだから。

コーチングによって手に入れるものは何だと思いますか。
あなたのこれからに、それはどんな貢献をもたらしてくれるのでしょうか。

コーチの依頼が来るとき その3

コーチを始めたころ、友人であるベンチャー企業の社長にお願いをした。
「将来を考えるとビジネスコーチがひとつのマーケットになる。御社の役員をコーチすることはできないだろうか」と。
彼は了解してくれ、その会社のふたりの取締役に話をしてくれた。
そしてふたりにオリエンテーションを行った。

数日後、ひとりから連絡があった。
彼は「社会保険労務士の資格を取る」というゴールをめざしてコーチングを受けたいと言う。
新米のコーチとしてはハードルの高いテーマではあるが、やるっきゃない。
2年半後、彼は見事に資格を取る。「取れると思わなかったでしょ」と社長に報告したという。
社長は「お前も嬉しいだろうけど、お前以上に俺は嬉しい」とコメントしたと言う。

役員に「コーチを受けてみないか」と社長が勧めるのは、
「私は君に期待している。このチャンスを生かして、社に貢献してほしい。」というメッセージ。
彼はその期待に答えたのである。

コーチを依頼した彼は社会保険労務士という国家資格をとって成長していく。
もう一方の役員。彼は社長の勧めに応じなかった。彼はこの話があった半年後にトラブルを起こして会社を辞めることになってしまった。
自分が変わりたいと思うかどうか。
そこでもうすでに、行く末は決まっているのかもしれない。

昨日、私のクライアントから紹介を受けた方にオリエンテーションを差し上げた。
そして昨夜、コーチを受けたいと依頼がやってきた。
彼は変わりたいという選択をした。
だったら、彼は変われる。
そう信じてコーチングは始まっていく。

自分が変わることで手に入れられるものは何ですか。 

コーチの依頼が来るとき その2

「コーチをしてほしい」と依頼がくるのは、コーチ冥利につきる。 このブログを始めた時にも書いた。
ふだん、コーチとクライアントの関係はなく会話をしているのに、ある日突然、
「コーチをしてくれませんか」と話を切り出される。
おそらく、相当の勇気を奮い立たせて依頼してくるのだろう。
きっと、「なんとかしたい」という気持ちが、とっても強くなってきていて、
どうしようもないもやもや感が頭の中を支配しているのだろう。
でも、「コーチをお願いしよう」と心の中で決めて、口に出すことで、彼/彼女はすでに一歩を踏み出している。
彼/彼女は、変わるための道を進み始めている。称賛される行動であるし、彼/彼女は変われるだろう。

もちろん、こんなにスムーズなケースだけではない。
家族や周囲がコーチを受けてみたらと促しても、「どうして自分が変わらなくちゃいけないの」と
変化を嫌う方も、意外と多いものだ。
馬を水飲み場に連れていくことはできても、馬に水を飲ませることができないのと同じだ。
「変わりたい」と言っていながら、「変わりたくない」と心に決めているのだろうか。
そんな時、私は積極的に営業することをしない。「話したくなったらいつでも連絡をください」とだけ言っている。
連絡をするかしないかは、当人次第。彼/彼女が連絡をしてこなかったら、それまでのこと。
ちょっと残念な気はするが仕方ない。もっと手を差し伸べるべきなのかもしれないけど、
そうではないような気もする。

優しさとは、何をすることだと思いますか?
優しさとは、何をしないことだと思いますか?

コーチの依頼が来るとき その1

コーチの資格を取って、8年になる。
コーチのスキルが社員の育成にプラスになると考えて勉強を重ねた。
会社員をしながらのコーチだったので、資格は取得したが更新はしていない。
今は、コーチの資格はない。
そして営業もしていない。
それなのに、「コーチをしてほしい」と言っていただけるのは、
全く、コーチ冥利につきます。

いちばん多いのが、クライアントからの紹介。
「私の友達が目標を達成したいと言っているんですが、コーチをお願いできますか」
「私のいとこが仕事のことで悩んでいるんだけど…」
「私の部下は優秀なんだけど、ちょっと組織マネジメントで行き詰ってて、協力してもらえないか」
私がコーチをしていることを聞いて来られる方もいる。
「ちょっと息子のことが心配で、お話を聞いてほしくて」
「コーチングとカウンセリングって何が違うんですか」
「こういうときは、どうすればいいんだろう」
いろんな人からいろんな依頼がやってくる。

コーチの依頼をいただくと、自分のコーチングが認められた実感がわいてくる。
さらには、身が引き締まる思いがする。
「自分のコーチングがこの方に通じるのだろうか」
「自分に何ができるだろうか」
そして、お会いする人と初回の面談が終わった時に必ず思う。
「この人なら、ゴールを必ず達成できる」と。


あなたがコーチに期待することは何ですか。
コーチがあなたに期待することは何だと思いますか。

2015年9月10日木曜日

アメリカンフットボールとコーチ

高校1年生から、アメリカンフットボールを始めました。
大学には部がなかったもので、仲間を集めて創部。会社にもチームがあり、26歳まで現役を続けました。
社会人3年目で、後輩からの監督就任要請をうけて監督に。36歳になるまでの10年間で、プライベートリーグから、関東学生フットボール連盟の2部まで連れて行きました。
フットボールは戦争の縮図。戦場で敵を凌ぐために、ビジネスで競合に勝利するために。
フットボールから、戦略と戦術、コミュニケーション、モチベーション等、多くを学びました。
実際にそれができているかどうかは、周囲の評価を見るしかありませんが、少なくとも、自分を形成している要素のかなり大きな部分が、フットボールに由来していると思われます。
コーチ個人のスキルノウハウの蓄積で成り立っていたコーチングが、一般化されてビジネスになっていることを知った、2000年。
フットボールのコーチが正しいものだったかを確認するために、コーチングを本格的に学び始めたのが、2004年。
これからもきっとコーチは続けていくんだろうなと思います。

あなたがめざしているものは、何ですか。
絶対に譲れないことは、何ですか。

2015年9月9日水曜日

日々のこと_20150909


「コミュニケーション実験室」のサイトが
10月1日に正式オープンいたします。

長年勤務した広告会社を辞めて2年半。
60歳を迎えるまでには
ビジネスを始められるようにと思っていましたが
いよいよ、その、定年月になりました。
今日は「コミュニケーション実験室」サイトのプレオープン。
さらに詳細を修正して10月1日に備えます。
皆さまにはどんなことでもけっこうですので、ご意見をうかがいたく。

準備をしているものだけに幸運は微笑む。
皆さまに満足いただけけるサービスを提供するべく邁進してまいります。
どうぞよろしくお願いいたします。

スポーツとマネジメント

これまでに20人ほどの大学生をコーチしてきました。
就職活動がテーマになることが多いのですが、大学でスポーツをやる意味を話すこともあります。
「日本一になる」「リーグ優勝する」「スタメンで出場する」「試合に勝つ」「自分が得点する」等々。
目標はいろいろ。といっても、全チームが優勝できるわけでもない。一生、そのスポーツをやるわけでもない。
いや、一生なんてとんでもない。大学生活4年間しかそのスポーツをやらないという人が多いのかもしれない。

スポーツをやる理由は何でしょうか。
・苦しさに耐えられる精神と肉体を備えること
・ハングリー精神を養うこと
・チームワーク、協調性を学ぶこと
・そのスポーツが好きだから
・勉強よりも体を動かしていたいから
・就職に有利に働くのではないか
・楽しければいいじゃない 遊びだと思って楽しめばいいじゃない

確かにいろいろある。
大学体育会クラブ監督10年の経験から言えること。
会社人、社会人、自分の人生に影響を与える何かが手に入ればいいのではないでしょうか。
勝つことや、競うことではなく。勝つことや競うことで手に入れられる何か。友人なのか、戦略なのか、行動力なのか。
勝つことばかりにこだわる学生が多いんです。自分に足りないのは、やる気です。という学生が多いのも気になります。
気持ちを入れてスポーツをすることで、あるいは勝つことで、何を得たいのかを考えてほしいと常々思っています。
なかなか伝わらないのですが。

私がアメリカンフットボールをやった意味はふたつあります。ひとつは、
・大学にチームがなかったので、作ったこと。もうひとつは、
・アメリカンフットボールは戦争の縮図であり、ビジネスで勝つための戦略を教えてくれるもの
だったからです。
私の人生はフットボールの戦略とともにあったと言っても過言ではありません。
戦略立案はもちろんのこと、得意へのプレゼンテーション、広告制作、コーチングやコンサルティングにいたるまで、私のマネジメントのベースには、アメリカンフットボールがあります。


あなたが大学でスポーツから学んだことは何ですか。

スポーツの監督とマネジメント_2

私がアメリカンフットボールを始めたのは15歳。高校一年生になった時でした。
母校は日本の高校アメリカンフットボール部の歴史にもたびたび登場する高校でして。
私が始めた頃は、うるさいOBがコーチとして君臨。どなりちらすばかりで組織だったコーチングはされていませんでした。
専門誌「TOUCHDOWN」に、関西学院大学付属高等学校の監督をされていた武田健さんが「コーチ雑感」を書いておられ、「選手はほめて育てる」というコメントを読んで、母校とは全く違うと思いました。
大学に入ってフットボール部を創設した私たちは武田健方式で選手を育てました。

先日、友人の息子が高校でフットボールをやっており、私が卒業した大学のグラウンドで試合をするというので、付き添いがてら高校のフットボールを久しぶりに見に行ってきました。
友人の息子の高校は、監督が人格者で15歳から18歳までのスポーツについてポリシーをもっておられ、統率のとれたいいチームに仕上がっていると思いました。
一方の対戦相手。私はベンチの端っこにいて見ていたのですが、なんと、40年前の母校のような…。
鬼コーチが選手を罵倒しながら試合を進めていくのです。選手は萎縮し、沈黙し、おびえていました。
これで勝っていくのはかなり大変だろうなと、人ごとではありながら、学生たちのメンタル面が心配になりました。
高校も大学も「スポーツをやること」はいいのですが、一生それで食べていくならまだしも、学生生活の数年間だけをそのスポーツと一緒にすごすだけなのだとしたら、そのスポーツを通して、学生が何を身に付けるのか、将来、それを何に生かすのかを、監督やコーチたちは選手たちに伝えておかなくてはなりません。
勝ち負けも大事。協調性やチームワークも大事。役割り分担やリーダーシップも大事。フェアプレイやスポーツマンシップももちろん大事。
誰のために勝つのか。勝つことによって、何を経験させるのか。負けることによって何を学ばせるのか。
プロとしてのスポーツではなく、学生のスポーツのあり方を考えさせられた日曜日でした。

あなたはスポーツで何を学びましたか。
それが今のあなたにどんな効果をもたらしていますか。

スポーツの監督とマネジメント

2010年、ワールドカップ南アフリカ大会の時に書いたものです。

----

ワールドカップが始まりました。
連日熱戦が繰り広げられています。あなたが応援しているチームは勝っていますか。
日本の試合は明日、14日が初戦、カメルーンとの試合です。皆さんの予想はどうでしょうか。
岡田監督率いる日本チームも、予選はそこそこよかったようですが、ここのところ数試合はちょっといただけません。
フィックスしようとしていたスタメンもポジションも、だいぶ変わってしまうという予想もあります。

「勝ったのは選手の頑張り、負けたのは監督采配の責任。」というのはスポーツの世界ではよく言われるフレーズ。監督が交代することによって、チームは強くなったり弱くなったり。
私は、母校のアメリカンフットボール部を10年間監督した経験から、やはり、このフレーズはその通りだと思っています。
うまく行かなかったことを選手のせいにするのは、監督として失格。そう、肝に銘じています。
準備させられなかったことの責任は選手にではなく、監督にあるのです。

スポーツの世界では、コーチのことをマネージャーと言います。
ピーター・F・ドラッカーは「マネジメントとは、成果の責任者だ」と言っています。
勝利、あるいは、敗戦が成果だとすれば、それはマネージャーの責任なのです。
レバタラ話はご法度かもしれませんが、オシムだったら、どんなチームを作ったのでしょう。
監督をやっていた経験から、試合の勝ち負けよりも、そういうことに興味が行ってしまいます。

日本がワールドカップでベスト4に入るために必要なことは何だとあなたは思いますか。

コミュニケーションはキャッチボールより難しい

「コミュニケーションはキャッチボール」というフレーズはよくできている。
「取れないボール」や「取りにくいボール」を投げ合うのは楽しくない。
確実にボールを受け取れば、きちんと投げ返すことができる。
ヘンなボールを投げられたら、ヘンなボールを投げたくなる。
コミュニケーションを成立させるには、きちんとボールを投げ返そう、ということか。
ところが、コミュニケーションは、キャッチボールほどうまくはできない。
ボール(情報やお話)を投げる×投げ返すだけでは、コミュニケーションはうまくいかない。

娘が小学校の低学年だった時、我が家ではボールを投げながら会話をした。娘がルールを発表した。
①ボールを持っている人だけが話をすることができる
②持っていない人は、話をしない
ふたつの単純なルールだ。
話したい人が話したいだけ話すためには、ボールを抱え込んでしまえばいい。
それでは会話は成立しない。会話を成立させるためには、ボールが移動しなくてはならない。
ボールが移動するのは、
・誰かに質問をして、答えてもらう時
・話してください、教えてくださいとお願いする時
だ。

家族は言う。
「どうして人間って、話してばっかりいるんだろう」
「どうして話を聞くのは難しいんだろう」
「自分だけが話すのをやめる方法はあるんだろうか」
人は話すことが好き。アウトプットが好き。話さないではいられない動物だ。当然、その反対で、聞くのは難しい。
その理由を学術的に解き明かすのは学者先生にお願いするとして、
「自分だけが話すことをやめる方法」は、ある。
もし、自分が
「いつも話過ぎているな」
「みんなは私のことをおしゃべりばかりしていると思っているな」
「自分では話したいという欲求をなかなか抑えきれない」
といった症状のある方にはお勧めする方法。
単純明快。
「他人に話させる」ことだ。
自分が話を我慢することは難しい。抑えようとすればするほど、ストレスはマグマのごとくに噴き出してくる。
自分も話したいけど、まずは「話させる」ことを優先してやってみる。話し終わった相手は、
「ああ、存分に話したなぁ」という満足感があると、「聞き手にまわること」ができる。
その瞬間に、待ってましたとばかり、こちらが話を始めればいいのだ。

では、「他人に話をさせる」ためには何をするか。
・質問する
・「話して」とお願いする

このふたつしかない。
そして、このふたつであれば、簡単にできる。
きっと、簡単に、できる。

あなたは、自分が話すほうですか? それとも
相手に話をさせるスキルを十分に備えているほうだと言えますか?

コーチングって、何?

コーチはもともと、ハンガリーのコチェっていう都市が語源と言われています。
馬車を作っていた町。それで、馬車のことをコーチっていうようになりました。
馬車は、乗客を目的地まで連れて行きます。コーチも同じ。
馬でもなく、御者でもなく、車輪のついた箱でもなく、
乗客と一緒に目的地まで行く仕組みがコーチ、というわけです。

コーチによって「コーチングとは何か」という問いへの答は違うと思いますが
私はこんな風に定義しています。

 ① 明確な動機付けを行い
 ② 行動変容を起こし
 ③ ゴールを達成する

ための、コミュニケーションスキル。

「ゴールは何か」だけではなく、
「ゴールを達成することで手に入れるものは何か」
「ゴールの先にあるものは何か」
が見えていると、行動しやすくなります。

とはいえ、じっと考えているだけでは、何も起こりません。
少しずつ行動してみること。
変化を実感してみること。
少しくらいつまづいても、もう一回やってみればいい。
小さな積み重ねが、ゴールへの近道なのかもしれません。


あなたにコーチがついていると、何が変わると思いますか。