2015年11月9日月曜日

街なかで見かけることが難しい、「受容」と「共感」

先日の、良く晴れた日曜日のこと。
事務所に向かう道で、スーツ姿の母親と3歳ぐらいの男児を見かけた。
近くの幼稚園の入園試験だろうか。きちんとおめかししている。
男児がはしゃいでたかと思った瞬間、転んでかすり傷ができたようで
苦虫をつぶしたような顔に変わった。
母親は息子に近寄って、言う。
「痛くない。大丈夫。」すると
男の子は泣き出した。

親は多くの場合、同様な声のかけ方をする。
「痛くない。男の子だろ、泣くんじゃない」
「大丈夫。我慢しなさい。」
確かに、死ぬほどの出血ではない。
大丈夫であることは確かなのだが、
当の子どもにとっては、
「かすり傷ができた」
「痛い」
「血もにじんできた」
いやぁな気分になっているに違いない。

親に向かって自分の気持ちを主張しているにもかかわらず、
親はいとも簡単に否定してかかっている。
自分の主張が聞き入れてもらえなくて、
子どもはさらに大きな声で泣く。泣き続ける。
泣き続ける子供に向かって親はさらに言う。
「うるさい。」
「泣くんじゃない。」
「痛くない。」と。
泣き声は大きくなるばかりだ。

子どもは痛くて泣いているのではない。
親に自分の主張が受け入れられないのが辛くて泣いているのだ。
自分の感情が理解されていないことに憤って泣いてるのだ。

こんな時には、そこに起こっているそのままを受け入れてみる。
「擦りむいちゃったねぇ」
「あ、血がにじんでいる」
「痛いねえ」
すると子どもは泣くのをやめる。
「急に走り出してころんじゃったねえ」
「何につまづいちゃったんだろう」
「何かにひっかかっちゃったかなぁ」
子どもは、
「こうなって、ああなって、転んだ」と説明を始める。
もう涙は完全に止まっているはずだ。

人は、自分を受け入れてくれる人を自分の側の存在だと思う。
一緒にいることが心地よいと思う。
自分の主張や意見に反対する人を敵だと思う。
受け入れることが困難になってくる。
自分を受け入れてくれる人の言葉やアドバイスに耳を傾けることはできるが
自分の話を聴いてくれない人の話は聞きたいと思わない。

親子の会話の中に、学校の会話の中に、仕事仲間の会話の中に
「相手の気持ちを受け入れる」という感情があれば、
コミュニケーションはきっと、いや、必ず変わると信じている。


あなたの会話は、相手を受け入れる会話でしょうか。
もっと受け入れていることを伝えられるとしたら
どんな会話をすればいいと思いますか。

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